感動的な101歳の葬儀
少し前、伯母がなんと!
101歳の命を閉じ、葬儀に行って来ました。
生まれ故郷の親戚のお寺さんにお願いしてあったので、
すべて手配し、祭壇を作ってもらいお経をあげてもらいました。
伯母とは、一緒に住んでいたこともあったので、
どうにか予定を変更し、駆けつけることができてほんとうに良かった。
葬儀の際、お寺の和尚様とその息子さんお二人で、
なんと3人でのお経の唱和?合唱?をしてくださいました。
さすが親子ですから、息もぴったりで素晴らしい合唱です。
お経を聞きながら、伯母とコンタクトしてみました。
その時の様子を書いてみます。
とても感動的でした
すぐに、伯母を感じました。
ここがどこかがわからず、少し戸惑った様子だったので、
親戚のお寺であることを伝えると、
理解し落ち付きを取り戻した感じがしました。
そうなのです。
わたしはこのお寺に何度も来たことがあるのですが、
伯母は初めてだったかもしれません。
お経が進むうちに、伯母の姿が変わっていくのを感じました。
若くなり、さらに透明度を増しているようでした。
すると、ガイドからの解説で、
「お経には、死者のエネルギーを癒し浄化する働きがある」
と、改めて教えてもらいました。
なるほど、そうだよねと思いながら、
合唱にうっとりとしていると、
「今日は合唱をしてくれているので、その効果が特に高い」のだと、
さらに解説が入ります。
そして、
「他の宗教でも、そのように音を発していますね。
音は、魂を癒し浄化する作用があるのですから。
例えば、キリスト教でも讃美歌を歌う。それは同じ意味を持ちます」
そんな解説が、お経と共に続きます。
さらにふと、
誰かヘルパーやガイドなどのお迎えは来ていないのかな?
と気になって探していると、
阿弥陀如来のようなお姿の存在が視えてきました。
仏像は詳しくないので、その姿が阿弥陀様なのか、
他の存在なのかはわかりません。
たぶん聞いても、「それはどちらでも良いこと」 と言われそうです。
その如来様が、伯母に何か衣のようなものを
後ろから掛けてくれるのが視えました。
すると、伯母の姿が輝き出したように感じます。
身体から光を放っている。
それはとても美しい姿。
そんな姿を眺めながら、お経の合唱の中で、
伯母の人生を振り返ってみました。
一度だけ、郵便局で働いたことがあったそうですが、
上手く仕事に馴染めず、すぐに辞めてしまったとか。
その後結婚することもなく、
弟である父のものとで、母親である祖母と長女の伯母と共に暮らしていました。
だから私は、中学生まで一緒に住んでいたのです。
働いていた母の代わりに、家事を担当してくれていたので、
わたしはお弁当を作ってもらったり、お世話になりました。
伯母は、とても無口な人で、物静かにひとりでいるのが好きでした。
ゆっくりと自分のペースで物事をこなし、
人に迷惑をかけないように生きることを大事にしていたように思います。
たまに、話しかけるとゆっくりとした口調で応えてくれるのが、
何だが妙に嬉しかったのを覚えています。
そんな伯母は、最終的には父母が引っ越して一緒に住めなくなって、
上の伯母と共に施設に入ったのですが、そこでも静かに暮らしていたようです。
上の伯母は、とても社交的な人だったので、対照的でした。
取り立てて、何をしたということもない伯母の一生って何だったんだろう?
そんな問いを誰ともなく投げかけると、こんな言葉が入って来ました。
「誰にも迷惑をかけることなく、ただ静かに命が尽きるまで生き通すことは、簡単そうで簡単なことではないのです。
それは、生きながら仏であったとも言えるでしょう」
その言葉を聞きながら、
この世で私たちが思う素晴らしい人と、
魂の世界での素晴らしい人は違うのだと、改めて思いました。
さらに、光輝く伯母の姿を視て、
普通は49日と言われる成仏への道筋を
彼女は、一瞬で終えたのだとわかりました。
そのために用意されたのが、
3人でのお経の合唱だったのかもしれません。
天の采配は、素敵です
それを裏付けるかのように、
初七日、そして四十九日の法要を続けて行うことになりました。
通常は四十九日を経てから、法要の後、納骨するのですが、
なんと、そこまで1日で行おうということになったのです。
それを言いだした和尚様は、ちゃんと伯母の魂の準備ができていることがわかったようです。
あとで、わたしが葬儀の際の伯母の姿を伝えすると、
やはり間違っていなかったと言っておられましたから。
そして、伯母は素敵なプレゼントくれました。
火葬に行く際、そのお寺の二人の娘たちが伴ってくれました。
待つ間、それこそ30年振りの3人での再開に、
昔話に花が咲いて、楽しい時間を過ごすことができました。
これは、きっと伯母のことをずっと気にかけて来たわたしへのプレゼントかもしれないと、そんなことを思いました。
素晴らしい経験をさせてもらったと、
今も伯母に心から感謝しています。
こんなに、幸せを感じるお葬式は初めてです。
それは、101歳を全うした伯母だからこそあり得た
終わりと始まりのセレモニーだったのでしょう。
また、現在どうしているのか、
会いに行ってみたいと思います。
今日も、ご訪問ありがとうございます
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